アメリカ横断紀行 9

1992年3月19日 ヒューストン-サンアントニオ

テキサスに入って2日目。街にもカウボーイスタイルの人々の姿が多くなってきた。テキサスは噂で聞く排他的な地域性もあるようで、我々に対しても愛想が決して良くはない。
8時に「モーテル6」を出発。今日は快晴だ。ヒューストン市街地南部に位置するNASAに向かう。イースト・ヒューストンの宿から街の南のはずれにあるNASAまで渋滞のないフリーウェイを飛ばしても1時間かかった。ヒューストンは大きい。
アメリカを走って正直に感じることは、走っても走っても地図の上では全く進んでいない、ということがよくある。例えば、時速120キロで3時間走ったとする。360キロと言えば東京から仙台ぐらいだろうか。ところが全米地図を広げて360キロといっても、ほんの僅かな距離なのだ。地図で走ってきた道を確認するとき、まさに愕然とする瞬間である。
また、景色の美しさに心を奪われて気持ちよくバイクを走らせていたら、気がついたら500キロ走っていたなんていうこともある。
それと身体的には首が痛む。アメリカンのバイクは前傾姿勢ではないので腰などは痛くならないのだが、首とわき腹が痛む。アメリカンを長時間乗っていると、どこかに力を入れなくてはならないので、わき腹などが痛む人も多いのだそうだ。
あとは眼。路面の落下物にのって転倒とか、雨のブレーキングミスでの転倒などが多いので、路面には車の運転の何倍も神経を使う。フリーウェイには信じられないものが落ちている。古タイヤは多いのだけれども、椅子とかも。
車間距離は日本と比べて、どの車も長めなのだが、追い越す時もずいぶん距離をかけて追い越す。車線変更に400メートルぐらいかけて、追い越したらすぐに元の車線に戻らずに、また400メートルぐらいかけて戻る。日本みたいに、追い抜いた後、ズバッと元の車線に戻ったら、コーディネイターの真瀬さんに「危ないよ」と言われた。
NASAへは9時に到着。フロリダのNASAと違い、現在、打ち上げには使われていないそうだが、中の博物館は見ごたえがあり、写真も沢山撮れた。 事故で亡くなった乗組員の肖像画があり、日本の鬼塚さんの顔も描かれてあった。
今日もテキサスの単調な一本道、I-10。緑が限りなく続くフリーウェイ。これも砂漠地帯に入ると見られなくなるので、今のうちに緑を満喫しておかないといけない。350キロ走ったところで現われた街はサン・アントニオ。ジョン・ウェインの映画「アラモ」の舞台となった「アラモの砦」のある街。
時刻は16時。今日は「モーテル6」と並ぶ全米チェーンの安モーテル「BEST WESTERN」に泊まることにする。宿に荷物を置き、早速「アラモの砦」を見に行く。砦の中の博物館は17時で閉館なので見られなかったが、それでも多くの観光客が外にいた。
歴史の短いアメリカでは名所旧跡と言えば、ここぐらいしかないから、観光客が多くやってくる場所なのだそうだ。しかし、アラモ砦のまわりは近代的な建物ばかりで西部という感じがしない。
近くのショッピングセンターの中では、人々が屋外で食事する傍らを川が流れていて、船で人々が行き来する、いわばアメリカ版ベニスといった感じだ。ニューオリンズのようなヨーロッパ的な雰囲気が味わえる街。西部のテキサスでこのような街に出会えるとは意外だった。
食事、買い物をしたあと、宿に戻り、スタッフの一人の誕生会をする。24時に寝る。街にメキシコ人が多くなってきた。

アメリカンWEBトレンド

向上の余地があるサイトも取り上げてみよう。「アラモ砦」のサイトだが、画面最上部の小項目の表示は工夫が見られるが、残念ながらも無意味なフレーム分割が多く見られる。
単純に必要が無ければ、ノン・フレームで対応すべきだし、メンテナンス性が良くなるとも思えない。
またフレーム分割による情報バリアフリー面での対応が十分に出来ない点も問題だ。視覚障害者はIBM社「ホームページ・リーダー」等の音声読み上げソフトを用いてWEBから情報を得るのである。
制作者本位で作ってはならないのは当然だが、基本的な考え方として、あくまでWEBは閲覧者のためのもの、そして次にクライアントのためのもの。制作者のためのものでは決してないことを再確認すべきであろう。

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